第10回 武藤 泉(97年卒)
実は私は1年生の時分コーラス部員ではなかった。そんなことは知ってるって? 2年生になるとき…というか入学式の校歌の「助っ人」として参加し、「やっぱりコーラスやりたいな〜」という軽い気持ちで参加した次第であった。
あ、その前に芹川先生に頼み込んで年末の第九に参加したんだっけ?
もう遠い記憶なので覚えていないな…。
証拠物件を調べようにも、現在東京にいる身では、実家の引き出しは調査できないし、だからといって家族に探させるのも嫌だし。
音楽はもともと好きであったが、中学校の親友たちが放送部に集結したため私もそちらに入部。
コンサートも結局聞きに行かなかったなぁ…。ごめんなさい。
現在においてもそうなのだが、出場者にチケット付きで誘われたり、同行者によってチケットが用意されていたり、といった何らかの強制力が働かない限りどうも自分からコンサートに行くことはないらしい。困ったやつだ。
というわけで私のコーラス部員人生は正式には2年生の春から始まる。
練習は…まあそれなりに。放送部にも在籍していたが、まあそっちもそれなりに。
コーラス部は部活、放送部は入り浸りの場という感じだった…のだろうか。
コンサートのときは放送部とコーラス部の両方に顔を出して遊んでたけど。
でも、やる気はあったかな。楽しかったし、ちゃんと練習しようって思ったもの。…女性陣から見たら不真面目だったかもしれないけどね(笑)
コーラス部で歌った曲は、たぶん今でもほとんどのものを暗譜で歌えるんじゃないだろうか。
先日も弟に自慢(?)するために歌ったのだが、第35回のコンサートで歌った「アラジン」の歌は今でも歌える。もちろん英語で。
感動されてしまいました。「すげえ。英語で歌ってる。」と。
彼は声楽専攻なので、そんなことでも褒められるとけっこう嬉しい。
閑話休題…なのか? そんなことが昂じたのか今ではすっかりディズニーファンになってしまいました。
身の丈180cm以上ある男が1人でディズニーストアをうろちょろする姿ってのもなかなかのものです(笑)
周囲にはどう見えているのか気になる…。もちろん他の歌も覚えてる。練習した甲斐があったというもの。
楽譜だけは東京に持ってきているので、機会があれば大学のサークルの方に持っていこうかな。
でも人数不足で4声合唱できないんだよな…。
ひとつだけ言えることは、高2〜高3のコーラス部在籍期間が私の今までのコーラス人生の中で一番しっかり歌っていた時期だったということ。
大学でもコーラスサークル(「混声合唱団菩提樹」といいます)に入ったけど、結局熱が入らなくてやめてしまいましたから…。
名前から察しがつくでしょうか。このサークルのテーマソングはシューベルトの『菩提樹』。ただし日本語で歌いますが。
やめたとはいうものの、コンサートの時には呼ばれる。
「やめることは認めない。君は永久部員だから。」ってよく言われてる。男が足りないからだろう。
あと、友人たちが在籍しているから。もちろん、そんな参加形態を不快に思っている人もいると思う。
数回しか練習出てないし、あんまり上手くないし…。
何だかよく分からないことを書き連ねているように思えてならないが…高校時代の思い出と近況報告に代えて。
武藤 泉 (1997年卒)
96年頃〜98年まで在籍。
現在、大学生活最後の年。「卒論が…。先生はどこだ〜?」が最近の口グセ。