第11回 高木 進也(97年卒)
高校を卒業して6年弱。ノーベル賞サラリーマン田中さんを卒業させたとして、中部高校がにわかに注目を浴びている今、このエッセイを書いています。(実は僕は田中さんと中学校も同じなのです。) いろんな経緯があって現在も合唱を続けているんですが、もしこれを読んでくれている学生がいたら、是非大学でも合唱続けてほしくて、エッセイ書くことにしました。(エッセイっつーか、高校卒業してからの合唱人生みたいなものなんですが)文章能力がまったくないので、見苦しい点は勘弁してください♪
高校時代、同じコーラス部にいた同輩や後輩たちはどう思っていたか今となっては分からないことですが、当時の僕はそんなに合唱に情熱を燃やしていたほうではなかったと思います。そんなんだから、Nコンにでようという時になっても、部長である僕はウンとはいえなかったんだろうな。今となっては少し後悔しています。ごめん、みんな(by
ヤン・ウェンリー)。
さて、大学に入ってからの僕ですが、そのまま大学の公認サークルである北海道大学混声合唱団に入団し、2年になると学生指揮者にまでなってしまいます。この時はとても情熱に溢れていたのですが、とても不思議ですね。高校時代そんなに燃えてなかったのに、どうして学指揮に進んでなったのでしょうね。4年も前のことなのでよく覚えてませんが、合唱のことをもっと知りたい、もっと歌いたい、聴きたいと思い始めたのはこの頃です。さらにこの頃、今も所属している一般合唱団『弥生奏幻舎“R”』に入舎し、いきなりコンクールで全国に行き、福岡サンプラザ(大相撲九州場所の隣の会場。毎年一般の部の全国大会と九州場所は時期が同じ。)で歌いました。この弥生奏幻舎“R”には今も入っているのですが、一応紹介しておきます。
弥生奏幻舎“R”
96年春結成。舎名の由来は、ゆうきまさみ氏の『究極超人あ〜る』より、合唱団らしくない名前を、ということでこの名前になったらしい。札幌ヴォーカルアンサンブルコンテスト金賞受賞。全日本合唱コンクール全国大会6回出場。今まで4回演奏会を催す。
コンクールは、7回出たうち6回全国に行ってます。こんな風に書くと、いったいどんな合唱集団なんだ!?と思われますが、指揮者を始め、舎員のほとんどは専門的な音楽教育を受けたことがありません。いうなれば素人です。そんな素人集団が全国に行ったりするもんだから、一時期某巨大掲示板なんかで叩かれましたね。もうね、アホかと思いましたが。そんな合唱団ですが、これからも楽しみです。来年なんか松下耕先生と飲み会があるそうです。わお。
そんなこんなで今も歌いつづけてる僕ですが、合唱聴くほうも好きなんですよ。全国大会なんかにいくと必ず2日目聴きに行ったり、去年なんか中学高校の部を聴きに名古屋までいったり。今一般団体にいる僕からみても、日本の合唱は中学高校が一番うまいと思います。(個人的な趣味ですが。)演奏が泣ける。特に高校生は凄いですよ。どうして同じ人間の集団なのに、こうも我々と違うのだろうかと考えさせられます。ひとつ残念なのは、その高校生たちのほとんどが、大学や一般で合唱をやらなくなってしまうことです。これは非常にもったいない。高校生から見ると、大学合唱は確かにレベルが低いと思う。だけど、それでも続けていってほしいなと思うのでした。
長くなってしまいましたが、ここらでエッセイを終わりたいと思います。本当はまだまだ語りたいことがたくさんあるのですが(10人で露営のともしびを歌ったときのこととか)、しつこくなるので止めます(笑) OBになってから、後輩の演奏会に一回しか行けてないダメダメ元部長ですが、お会いすることがありましたら気軽に声をかけてくださいね。
追記:リレーエッセイって、、、高校でコーラス部で今も知り合いって。う〜ん。
経歴
94年4月〜97年3月在籍
北海道大学混声合唱団(97年4月〜2001年3月、内2年間学生指揮者)
合唱団「犇」(ひしめき) (2000年9月〜2001年3月)
弥生奏幻舎“R”(98年5月〜 現在)