第16回 浦上静香
夏の夕暮れの見果てぬ夢
〜現役生と卒業生のための混声4部狂騒曲〜
『第1楽章・夏』
2012年7月のコンサートが『50回記念』になると知ったのはOB会のホームページをチェックした時でした。え?そんなになるの?が第一印象。
最初は「どうしようかな・・・」「こんなに新曲覚える自信ない・・・」(これ結構、合唱から離れた時間が長くなると大きいです・・・笑)だったのが、「な、何っ?!出たいぞ!!!」に変わったのは、歴代顧問の先生方が勢揃いされるとわかった時です。
自分は芹川先生世代ですが、夏はコンサートに相当のエネルギーを注ぎ込んでいた(&コンクールには縁のなかった)学年です。そんな私は、浅岡先生は伝説でしか存じ上げませんでした。石川先生は(今はなき)『富女』の指導者というイメージが強かったので、中部に異動して来られた当時は「え・・・石川先生が混声合唱を指揮されてる・・・」と言ってしまいました。それっくらい驚いたもんです。松浦先生に至っては、出会った時自分は既にOGとなって久しく、時々合同ステージにまぎれこんだ時にお世話になってはいたけれども、ナマの指導は受けたことがないも同然。
かつての顧問の先生&直接のご指導を受けていない先生方と、一緒にステージに立てる日がくるとは。驚き以外の何物でもありませんでしたし、ブランクが長かったので自分としては『枯れ木も山の賑わい』といった気分でした。それでも、やっぱり出てよかったです。今となっては企画・運営で駆けずり回ってくれたヤング黒崎氏を初めとする実行部隊の方々にただただ感謝しています。
実はコンサート当日、こんなことがあったのです。本番数時間前の教文2階ロビーでお会いした、1期上の某先輩との会話。
「あのピアノ弾いてる1年坊主いるでしょ」
「はい」
「あれね、うちの息子」
「・・・ぇえええ!??ほんとですか?!」
当日の最大のサプライズでした。OB・OBという黒崎ファミリーの共演を練習中から見ていて、そっか〜中部なら十分アリだなーとは思っていましたが。「誰からも、今日のこと、声がかかんなくて・・・」と語っておられた先輩、申し訳ございません。変な遠慮なんかせず、ちゃんと連絡していれば・・・OB・現役生という親子共演が見られたのにぃ・・・。
『第2楽章・秋』
正確にはコンサート終了後の夏から秋、冬にかけて・・・のかなり長い期間ですが、一大イベントが終わり興奮さめやらず、また歌うかどうしようか・・・と、富山市内を中心に、いろんな合唱関係の演奏会を聴きに行っていました。ただ、何しろ歌っていなかった空白の時期がかなり長かったので、まだまだ迷いというか煩悩の中を彷徨っています(←お断りしておきますが、あくまで私の場合は、です。他のOB・OGの方はそれぞれ違いますよね?ね?)。
『第3楽章・冬』
本番DVDができあがるのをひたすら楽しみに過ごしていたところ・・・見てしまいました。「郷土の情報紙」北日本新聞の広告を。ついつい事業局に確認を取ったうえで、申し込んでしまいました。第九。
後で昔のパンフレットを引っ張り出して調べたところ、何と第九は12年ぶりの挑戦であることが判明しました。前回板に乗った時から、干支が一回りしてるぞ。これは自分でもびっくりいたしましたが・・・だけど。過去にあのステージを経験してるって、意外に強いもんですね。歌えるんだなこれが。
ただ「第3楽章からひな壇に立ちっぱなし」を予想し(富山の第九は今まで出た時はずっとそうだった)、それに備えて芸創での練習時に勝手に立ちっぱなし対策を行っていたのは・・・何を隠そうこの私です。
ところが、本番数時間前にそれがひっくり返りました。指揮者の現田先生が、オケと合唱揃ってのゲネプロで「コーラスには椅子ありますか?ない?そう・・・なら、コーラスの人は第4楽章から入ってきてください」とな。
・・・えー、日本には『鶴の一声』ということわざがありますが・・・それを目のあたりにしてしまいました。いやいや、部のコンサートでもそうですけれども、本番というのは何が起こるかわかりません。ほんとに。
もっとも、それが楽しいということも、あるんですよね。この日の本番は本当に『現田マジック』のおかげで、自分の実力以上に歌えた気がします。
『第4楽章・春』
相変わらず、血は騒ぐが自信がもてず・・・あっちこっちの団体さんの演奏会を聴きには行っていました。事前に曲目がわかる時は、まれにですが楽譜持参で行ったり(コレ、歌う側からすると「イヤやな〜あの客・・・」ってかんじでしょうねえ。客席って、意外と舞台上から見えますからね)。そしてようやく届きました。コンサートのDVDとCDが。伊藤さんのお父様、本当にありがとうございます。
合同ステージを見て・・・正直、感動しました。毎年、男声パートの人員を確保するのに苦労していた中部のコーラス部で、あんなに迫力のある混声4部合唱ができようとは。移動中はよく車の中で聴いていたのですが(富山では車がないと勝負にならない。いろんな意味で)、これは本当に何度聴いても、すごいなあ、と思うのです。
『第5楽章・夏再び』
51回コンサートについての情報は本番何日前に知ったのでしょうか?社会人というのはえてして、自分から新規の情報をキャッチしに行けずに、日々時間だけが過ぎてゆくもの(日頃仕事してると、なかなかそっちに意識がいかないってーか・・・簡単に忘れてしまう・・・私だけですか?余計に、すみません、というかんじだな・・・)です。ごめんなさい。
でも、プログラムに「第4ステージ OB・OG合同合唱」と印刷されているからには、看板どおりにしてあげたいな、と。本番当日、会場に駆け込んだらミュージカルが始まってしまっていました。ぅあ〜。やっぱりこれが限度だったか・・・(勤務先から教文までの道のりを考えると・・・平日の17:00開演だと、最悪、4ステに間に合えば御の字だと覚悟はしていた)。だけど・・・合同ステージにはちゃんと立てたので許して下さい(誰に頼んでいる?)。
その後8月に入り、呉羽高校フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会を聴きにオーバードホールに行ったら・・・出てましたよ!第九のチラシ!
『第6楽章・秋そして冬』
10月12日。芸術創造センターにて結団式。それから2ヶ月半、週2回の練習に励み、本番にて『現田マジック』再び。今まで届かなかった音の響きが、本番でようやく、出したい音本来のものになりました(どうしても低く響いちゃうところがあったんですが、本番だけ、成功しました)。
そうそう、現田先生って第4楽章のあいだじゅう、延々とお口が動いてるんですよね。そう、ソリストの部分、合唱の部分、全部歌詞を歌ってらっしゃる。二重フーガのところなんて、各パートの歌い出しを必ず歌って。で、みんな!ここ頑張って出して!みたいなところは必ず『お誘い』されるんですよ。んでそれにのせられて、練習中は出なかったところが、本番だけ出る・・・なんていう現象が起きるわけです。
んで。本番の演奏では、とにかく指揮者至上主義に徹しまして。当たり前ではありますが、指揮者についていくのが鉄則です。しかし。必死についてったらペース配分もへったくれもなく予想した以上に体力を消耗しました。あ、最後のPrestissimo、2013年はめちゃくちゃ早かった!!歌い終わった瞬間、軽〜〜〜くだけど、膝にきたぞ!!!
50回記念に出た一人が、この1年半を振り返ってたらこんな駄文ができてしまいました。えー、エッセイにしては妙に長くなりましたね。まあ時間ばっかりかけて書いたり消したり(挫折しそうになったり)(汗)をのろのろ〜〜〜と繰り返していたということで。
現役生&卒業生の皆様、52回コンサートは3連休の中日ですよ!みんなで教文へ集結しましょう!
自己紹介】 今回はこっちで。
平成元年卒業。たった1週間存在した昭和64年、うちらは大学受験生でした・・・。コンサートのメインステージは「旅の途の風に」「武蔵野」「海鳥の詩」。TopSop.からSec.Altoまで歌って四半世紀、最近の趣味はTopTer.のものまね(笑)。
管理人注:この原稿は、松浦先生の異動が決まる前にご寄稿頂いた物です。