第17回 内田明美子
はじめまして。35回生(83年3月卒)の内田明美子(はるこ)、高校時代のあだ名は「ぱるこ」です。浅岡節夫先生の最終回となった第20回コーラスコンサートで、モーツァルトの「戴冠ミサ曲」を歌って卒業しました。つまり、浅岡先生に3年間お世話になった世代の中で、一番下の学年ということになります。
3年間、授業が終わるのを待ちかねるようにして音楽室に通いましたが、皆様ご存じのとおり、中部コーラス部には組織化されたOB会がありません。このため、あれだけ長く一緒にいて、濃密な時間を過ごした仲間たちとも、卒業して数年たつと、ほぼ、音信不通になりました。会う機会もなく、思い出すこともないまま、就職、結婚、子育て、転職と慌ただしい年月が過ぎました。
実は、コーラス部を思い出したきっかけは、他ならぬこのHPです。もう10年くらい前になりますか、偶然に見つけた、あまりにも懐かしい音楽室の扉の写真。ノックして中に入ると、忘れもしない「練習室A、B、C」「音楽準備室」、そこには、クラブソング、汽車ぽっぽ、バスの歌などの音源が。心の琴線に触れるとは、ああいうことを言うのでしょう。ただ懐かしさに胸が締め付けられただけでなく、あの場所に大切な忘れ物をしてきているように感じて、焦るような、疼くような心持ちになりました。管理人の滝田さんの術策とデザインセンスに見事ハマった、ともいえましょう。
少しずつ連絡を取りあってみると、コーラス部仲間との再会は例外なく楽しい。これは少し頑張って人を集め、80歳を超えた浅岡先生を囲む同窓会パーティをやりたい。そう思い立ったのが2012年、第50回コーラスコンサートの年のお正月でした。年賀状のやりとりが続いている数名のほかに、同級生男子はネットでフルネームを入れて検索すると、県庁の課長さんやら、県立病院の部長さんやらになっていて、職場に手紙を出せば連絡をとれる。女子数名は実家に電話。このころ急速に普及したFacebookの「友達検索」も、尋ね人には大いに役立ちました。その後、東京で勝手な夢を語る私の希望を、現地富山で着々と叶えてくれた名幹事、自称「執事」の奥沢くんとの再会も、Facebookでした。あの時「ぱるこ」に発見されなければ、こんな苦労をすることもなかったのにと、彼は少し、ジェフ・ベソスを恨んでいるかもしれません(^0_0^)。
2012年夏のパーティでは、全国から先輩方を含む50余名が30数年ぶりの再会を果たし、かつての愛唱歌を合唱して盛り上がりました。次に集まるなら、もう少し音楽を主軸にして、合唱にはささやかでも練習〜本番の流れを作り、先生にも歌っていただく企画にできるといいなあ。漠とした儚い夢が大きく膨らんで、2年後のこの夏に実現しました。神通会総会に時期を合わせた2014年8月2日・3日、浅岡先生と元コーラス部員たちが中部高校新校舎の「至誠ホール」に集まり、「コーラス部2014年夏コンサート」を開催させていただきました。(プログラム画像リンク)
前置きが大変長くなりましたが、以下、お世話になったたくさんの方々への感謝を込めて、2日間の様子をレポートさせていただきます。
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<8/2ステリハ>
昼過ぎ、ぴかぴかのホールに、口コミと不完全な名簿でのメール・ハガキ作戦で知らせを受けた元コーラス部員が、三々五々と集まり始める。13時過ぎに浅岡先生が、お気に入りのH医師(36回生アルト)の付き添いのもと到着。練習は校歌から。初めての練習、イコール、ステリハです。
先生は指揮台に立つと一気に若返って、にわか仕立ての合唱団を、終始活き活きと、嬉しそうに、精力的に指導してくださる。しかし私を含め、普段は全く歌っていない人が過半数を占める、元コーラス部員。練習を始めた時は男声も女声も高音が出ず、アルトは人数的に絶滅寸前、バスだけが大変立派という、ひどくアンバランスな状態でした。
小鳥の歌声は 昔のことを
あの頃のことを思い出させるのだ
ラララララララレイ
もう二度と帰らぬ 若い時のことを
愛唱歌「夏の夕べ」の歌詞に、不覚にも涙腺がゆるむ。しかし一方で、焦りが募る。確かに、こうして練習しているだけでも楽しく懐かしいけれど、明日はコンサートなのだ。ホールは立派、合唱は貧弱、これはいかにも情けない。逆のほうが、よほどよいではないか。
合唱練習に続いて、ソロでの出演を快諾してくださった27回生の黒崎先生(呉羽高校)と、現顧問の伊東先生のリハが始まる。ホールが割れんばかりの迫力ある美声を聴いて、これならお客様も喜んでくださると救われた気持ちになりました。
<8/3ゲネプロ>
一夜明けた翌朝は、もう、ゲネプロです。合唱団は前日夜に富山入りした遠征組も加わって41人になり、増員と時間の経過、気分の高揚の相乗効果でパワーアップしていました。心地よいハーモニーが響く瞬間が増え、「かじやのポルカ」のハンマーも調達されて、調子が出てくる。どのパートもよくなっているが、もともと立派だったバスが、人が増えてさらに磨きがかかっている。個人的に、こんな低音に支えられて歌う機会は、もう、一生ないかもしれない、とさえ思いました。
<開場>
お客様は果たして何人くらい来てくださるものか、見当がつきませんでした。チラシを刷って各所で配り、直前に北日本新聞に告知を出し、神通会懇親会では校長先生と司会者が紹介して下さりと、在富山のOBはできることは全部やってくれた。しかし本来的に、この催しは「聴きたい人=歌いたい人」なのではないか。客席にいたい人が、いったい何人いるだろう?
そんな心配をよそに、開場時刻になるとホール上部から人が入り始めました。客席からも、懐かしそうに再会を喜びあうふうの声が聞こえてきます。最終的に、合唱団の2倍にいくらか欠けるくらいの人数のお客様が聴いてくださったのかと思われます。ありがたいことでした。国語の高倉知成先生をはじめ、懐かしい恩師の姿も見られました。
<開演>
S先輩のアイデアで、校歌を歌いながら順にステージに登る。校歌の歌詞も、親となった今かみしめると、何か格別の味わいがあります。第一ステージ愛唱歌、1曲目「いざたていくさびとよ」の冒頭のハーモニーは、中部コーラスの伝統に恥じない、迫力のあるものだったかと思います。
何よりもありがたかったのは、ステージと客席が一体となった、会場のあたたかい雰囲気でした。第二ステージでは、この日のためにOB同士で結成した4組のユニットが、重唱や器楽アンサンブルを披露しました。至らないところもありましたが、よいところを楽しみ、失敗は笑で包んでくれる仲間とお客様に励まされて、出演者は緊張の中にも充実した、清々しい気持ちで演奏することができました。
<感涙>
圧巻だったのは、第三ステージの先生方のソロの歌唱。黒崎先生と伊東先生、富山県オペラ協会の中心メンバーでもあるお二人が、華やかな歌曲やオペラのアリアを熱唱されると、会場の空気ががらりと変わって、格調高く、熱気を帯びたものになりました。そこへいよいよ、われらが浅岡先生の登場です。
慎重に、ゆっくりとステージに上がる足取りからは予想もつかなかった豊かな声量で、晴れやかに、情感たっぷりに歌われた「サンタ・ルチア」「カタリ・カタリ(つれない心)」「オ・ソレ・ミオ」の3曲。病篤き時期を乗り越えての83歳、懐かしく力強い先生の歌声との再会は、元コーラス部員にとって最高の喜びでした。その勇姿を全員で、涙とスタンディングオベイションで讃えました。
最後のステージでは、シュトラウスの軽妙なウィンナポルカとギャロップに、運よく(無理やり)揃ったOB弦楽四重奏も入って ハレルヤ、アヴェ・ヴェルム・コルブスを合唱。アンコールは会場も一緒に「夏の夕べ」、かつてのコーラスコンサートの様式を受け継ぎ、賛美歌「かみともにいまして」の「またあうひまで」のリフレインと、お見送りのロビーコールで、約2時間半のコンサートの幕を閉じました。
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新しいホールを前例のない形でお借りし、主催者は組織体のない「元コーラス部有志」、準備期間短く、練習は2日間のみと、いろいろな意味で無謀な企画でした。数々の「無茶ぶり」で多方面にご迷惑をかけましたが、そのぎりぎりの緊迫感が、イベントとしてはかえってよかった部分もあるのかもしれません。練習を含む2日間全体が、日常から離脱して高校時代にタイムスリップしたような、ドラマティックな時間となりました。
本当にたくさんの方の応援をいただきました。中部高校の先生方、神通会・コーラス部OBの方々、元コーラス部や浅岡先生とはあまり関係ない方々までが、直接間接に力をかしてくださったことを、本当にありがたく思っています。当HP管理人の滝田さんもその一人です。HPの告知でコンサートを知って、来場されたお客様が、必ず、いたはずです。ありがとう。
次はまた2年後にやるか、という声も出ています。次回をやるなら、今回手が回らなかった、ポスト浅岡世代および現役とのコラボを実現させたい。そのときは滝田さん、このHPをご覧の後輩の皆さん、どうか、力をかして下さいね。
コンサートの興奮が残る中で、思いがけず長い文章を書いてしまいました。不適切な部分、配慮の足りない部分があるかと思いますが、お許しください。出演者のどなたかがリレーして、フォローしてくださると有難いです。言い尽くせない感謝をお伝えして、筆をおきます。
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自己紹介
内田明美子(うちだはるこ 旧姓野々部)
1983年3月卒 父の転勤で富山にいたのは高校3年間のみ、中学までと大学、就職、結婚、子育ての場所は、すべて東京近辺です。しかし、富山はidentity形成の時期を過ごした地であり、一番会いたい友達がおり、音楽の素晴らしさに目覚めた場所。大切な心のふるさとです。夫とともに、アマチュアオーケストラ「新交響楽団」に所属(ヴァイオリン)。
[音楽準備室]に、「浅岡会2014年夏コンサート」の音源あります。