第4回 鍛治春見(98年卒)
TRIGGER
思い起こせば私は、
「中部のコーラス部って技術至上主義という訳ではなさそうだから、多少不真面目でも許されるだろう」
という、OB諸氏や先生に袋叩きにされそうな不埒な理由でコーラス部に入部したのであった。
その私がまさかあのようなことになろうとは…。
時は平成9年。コーラス部は分裂の危機に瀕していた。NHK合唱コンクールに出場するか否かで揉めていたのである。
反対する部員は多かった。
「コンサートへ向けての練習だけでも手一杯なのに、この上更にコンクールの為の練習を入れるというのか。勉強との両立は可能なのか」「コンクールに出るだけの力が今の我々にあるのか」…。
反対の理由は様々であったが、私には彼らの根底に1つの同じ思いが流れているように思えた。
即ち、「コンクールの為の練習など、技術を追い求めるばかりで、無味乾燥だ。挙げ句の果てには他人に順位をつけられる。これでは少しも楽しくないではないか。我々は楽しく歌を歌っていきたいのだ」
という思いが。
彼らの姿に中学時代の自分がだぶって見えた。私も中学時代はそう思っていた。だからコンクールで金賞を取ることを第一目標に掲げ練習に邁進する中学校のコーラス部に馴染めなかったし、コーラス自体が嫌いになりかけた時期すらあった。コンクールが目的で歌っているのではない中部のコーラス部に入部したのもその為ではなかったか。
しかし2年余りの月日を経て、私の考えは少し変わっていた。個人的に言えば、コンクールに出場したかった。一度技術向上を目指して頑張って、自分達が何処まで出来るか試してみるのも良い、そして今のコーラス部のメンバーならば磨けば光を放つ可能性がある、と思っていたからだ。
また、それに加えて今迄と違う事をやってみたい、「中部はコンクールに
出場しない」という慣習を打ち砕いてみたいという気持ちもあった。こうなると単なる天邪鬼の我儘のような気もするが、他の賛成派の部員も同じ様なことを考えていたのであろうか、半ば強引に押し切る形で出場は決定した。
何処まで出来るか試した我々が得たものは銀色に光る盾と、3位であったという芹川先生からのご報告であった。
それから1年。中部高校コーラス部は石川先生の御指導のもと前年以上の奮闘を見せ、金色の盾を得た。そして今も部員達は合唱活動に精進している。
中部高校コーラス部で過ごした日々は私のコーラスに対する考えを少し変えるTRIGGERになった。平成9年のあの出来事は誰かの考えを変えるTRIGGERに、そしてコーラス部を変えるTRIGGERになり得たのであろうか。
答えは、掃除用具入れの上のモーツァルト像のみが知っている。