第7回 熊野和夫('75年卒)
富山からアロ〜ハ

その1 入部のいきさつ
「コーラス部は楽しいでぇす!」老朽化著しい至誠堂にコーラス部長のかん高い声が響きわたりました。今なら欽ちゃんの仮装大賞で見事グランプリに輝くところでしょうが、学生服の襟ホックを無造作にはずし、ボサボサ頭につぶらな瞳で登場した成瀬部長は、せっかくの勧誘セレモニーをこの一言で完了させてしまったのです。私はこの一発芸に心を惹かれ入部を決めました。コーラス部にこそバラ色の青春があると予感したのです。
数日後、薄暗い廊下をミシミシと歩き、ガラガラと戸を開ける楽しい毎日が始まりました。(長々と書いたわりには単純な動機でした。どうもすみません)

その2 老後はハワイで暮らしたい。
20歳代後半の一時期を、鼻水も凍て付く酷寒の北海道で過ごしました。マイナス20℃を下回る外気の中で、この雪国育ちはたびたび気を失いかけました。そのうちに、マイナス10℃を暖かいと感じるようになりました。
(寒い地に楽しい想い出はありません)

私は常夏の太陽がきらめくハワイが大好きです。いずれはこの太平洋の楽園で、アロハシャツと短パン姿で第2の人生を謳歌したいと考えております。
過去5年の間に3回ハワイを旅しました。うち2回は息子たちを連れた家族旅行でした。ご存じのとおり、ハワイの日差しは強いのですが、空気は思ったより乾燥して涼しく、日陰に入るとさっきまで吹き出していた汗が、みるみる乾いていきます。また、耳をすますと、貿易風がかきなでてゆくココヤシの葉ずれの音が、心地よく聞こえてくるのです。
(ここまで書けばハワイ政府観光局から招待状が届くにちがいありません)

次の旅に備えるため、500円玉が一杯になれば30万円という貯金箱を100円ショップで買いました。500円玉のおつりを集めようと、財布には1,000円札しか入れておりません。
(「お客さぁん、こまかいのありませんかぁ」とぼやくレジのおばさんが鬼に見えます)

ハワイ大好き人間が、どうして詩吟や三味線を好みましょうか。4年ほど前からインターネット通販を利用して、ユニバーサルシティからハワイアン・ミュージックのCDを購入しています。そう、為替相場をにらみながら。(1枚14$なのに)

ここで薀蓄をひとつ。流れるようなスチールギターと男性の甘いボーカル。そして軽やかなウクレレ。南国情緒ただようあの調べは、先住民が観光客を喜ばせるために米国本土で流行っていた音楽をハワイ風にアレンジして演奏したものなのです。ハワイでは、このような音楽を「ハッパ・ハオレ」と呼びます。ハッパは半分、ハオレは白人という意味です。もし男性がこのハッパ・ハオレを聴いたなら、美しいポリネシア娘に取り囲まれている光景を想像し、女性はハンサムな男性と過ごしている姿を思い浮かべることでしょう。(そこにはロマンに満ちた不思議な世界があるのです)

その3 マンションの高層階に住む
JR富山駅のホームまで約3分。出張には絶好のロケーションに住んでいます。また、勤務先まで徒歩で片道13分。途中、北日本新聞ホール、県民会館ホールなどがあり、5,000円を上限に各種コンサートを楽しんでいます。1月は自宅近くのオーバードホールで中村紘子のラフマニノフ2番を聴きました。3,500円のお値段が魅力でしたが、5階自由席に座って驚きました。なんとステージがほぼ真下に見えるのです。バンジージャンプを強いられているようで冷や汗が出ました。
夏になると、自宅のベランダから富山大橋の花火(ドーンは数秒遅れる)が眺められ、玄関からは水橋の花火が小さいながらもはっきりと確認できます。
(眼下の景色が、いつかワイキキビーチとなる日を夢見ております)

あと1週間足らずで45歳を迎えます。しかし、気持ちはいつまでも高校生のつもりです。

平成13年4月1日


熊野和夫
1972年4月〜1975年3月在籍
財団法人北陸経済研究所に勤務