第8回 石澤岩央(75年)
花バカじじいの独り言
最近やっと掲示板にデビューさせていただいたが、このHPのお世話をしていただい ているFさんにまず感謝の意をあらわしたい。IT音痴(音楽だけではなかったのだ !)の私には想像もつかない世界だけに、ただただ頭が下がる思いである。
さて、卒業してから幾星霜。いまの私はコーラスの世界から離れてうなっている 「歩く壊れた蓄音機」というところである。というのは・・・
近年は山と花に現を抜かしており、1年のうち60日以上は山の中をうろついてい る。主に花を追いかけての山行であり、植物にこだわった山歩きをしたいと思ってい る。山を歩いていると思わず「歯ずさむ」(25回卒の人から30回卒ぐらいの人な らわかるかもしれないけど、口笛ならぬ歯笛のこと)のがサウンド・オブ・ミュー ジックのメロディーである。この歌たちは本当に山に合うのだ。ウスユキソウ属をみ れば「Edelweiss」を、虹や谷の流れを見れば「Climb Ev'ry Mountain」を、霧が晴 れた高原ではもちろん「The Sound Of Music」と言う具合に。ところがエーデルワイ スは何とか終わるのだが、他はいつまでたってもなかなか終わらない。ひどいときは また始めに戻ってしまう有様である。というわけで、「壊れた蓄音機」・・・なわけ である。
その壊れた蓄音機がリレーエッセイに登場というのはおこがましいが、ゴールデ ウィーク後半の徒然に思ったことなどを綴ってみた。
−願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ−
掲示板で桜の写真がリンクされていたので見せていただいた。松川べりの桜が我が 世の春と言わんばかりに咲き誇った見事な写真である。樹の年齢からもまさに今が盛 りである。それに比べ、私が昨春から勤務している呉羽山(もともと呉羽出身だが実 は幼年期と高校時代の一時期、呉羽山の上に住んでいた。)の桜は、もうそろそろ歳 なのだろう。桜も50歳を越えだいぶ経つと花に勢いというものがない。自分もだん だん50に近づいてくるとどうも自分と重なってしまい、妙に呉羽山の桜がいとおし くなってしまう。そして、思い出すのが西行法師の辞世である。私もできればこの呉 羽山の桜の下で死にたいな、などと思ってしまう。だが、理屈っぽい私はこの歌の解 釈に疑問を感じてしまう。この歌の「花」は本当に桜であろうか。「花」と言えば 「桜」という図式は新古今の時代には確立していたという。その頃の桜は、もちろん ソメイヨシノではなく、たぶんヤマザクラであったと思われる(ソメイヨシノという のは江戸時代末期に染井村の植木屋さんがオオシマザクラとエドヒガンを掛け合わせ て作った園芸品種である。)。このヤマザクラにしても旧暦2月の15日(新暦では 3月中旬)では咲いてはいまい。むしろ京都の3月中旬は梅が満開であったと思われ る。梅も早咲きに品種改良しているので近世以降早くなっているけれども、西行のこ ろの旧暦2月の花といえばやはり梅と考えるのが理にかなっている。そしてインテリ の西行ならば平安前期までの「花=梅」という公式を懐かしんで歌ってもおかしくは ないのではないか。
実はこのような疑問を県立図書館の職員にレファレンスしてみた。するとこのよう な答えがあった。『2月望月は釈迦の入寂の日と言われており、今でも涅槃団子を配 るなどの行事が各地に残っている。西行は、花の下で死にたいと思ったというより は、釈迦のように死んでいきたいと願ったのではないか。』さらに『この歌は辞世と 言われているけれどかなり前に作られた歌のようであり、釈迦のように仏の心を持っ てこの世を生きていきたいと願ってこの歌を詠んだのではないか。花は入寂の象徴と して使われた言霊ではないか。』まさに目から鱗である。植物の観点だけで考えてい た「花ばかじじい」らしい質問というところだろう。しかし、この話を聞いてよけい に西行のこの歌が好きになった。私の解釈のように単純に花の下で死にたいというの ではなく、西行の人となりをかいま見た思いがしたのである。
−あの歌はもう歌わないのですか−
最近は、表野さん作詞・作曲の「クラブソング」はもう歌われていないらしい。ク ラブソングをコーラスクラブに伝わる愛唱歌集のことと勘違いされる人もいるぐらい だから、歌われなくなってもうずいぶんと経つようだ。熊野君のフォローによって歌 詞を改めて読んでみると、
1 白き雲がわく 我らが胸に
はるかにに思う 永遠(とわ)の光
青春の歌声響く 大空に
我らが希望も 広がりゆく
いざ友よ 歌い行かん
立山の山脈(やまなみ)に 響け我が歌声
2 ひとつ歌がわく 我らが胸に
かすかに思う 未知の世界
喜びの歌声響く この大地
希望の灯(ともしび) 輝けり
いざ友よ 歌い行かん
神通の川の面に 響け歌のしらべ
いい歌だと思いませんか。これが私たちの「中部高校コーラスクラブ」の「クラブ ソング」なんですよ。是非復活してほしいと願うのは私だけでしょうか。「誰かこの HPでクラブソングを聞けるようにして復活への一歩としてくれないものか」と、と りあえず独り言を言っておこう。
−危機管理−
このリレーエッセイを読んでいると、数年前にコーラスクラブ存亡の危機があった とか。いや〜。そう言うこともあるのでしょう。私たちのころは男声が多すぎるくら いでしたから、ちょっと想像がつかないぐらいです。でも・・・そう言えば・・・。 私たちのころも実は男声の確保に困っていたのかもしれない。だってこんな私にまで 声を掛けてきたのですから。そう、あれは確か1年生の6月でした。熊野君とあと誰 だったか忘れました(覚えている人掲示板で教えてください)が、「コーラスクラブ に入らないか?」と取り囲まれた?のです。今思えばこの勧誘のおかげで本当に楽し い3年間であったと心から感謝しています。クラスメイトの名前は忘れても(おい、 おい!薄情すぎないか)、コーラスクラブの仲間たちの顔、名前はいつまでも心の中 で生き生きとしています。私の「心の故郷」のような存在なのです。
大事なコーラスクラブが男声不足のため休部ということにでもなったら大変です。 このあたりの危機管理はきちんとしておいてほしいです。そこで男声確保の方法につ いて私なりの意見を言わせてもらえば、男声の勧誘はやっぱり「おなご」が有効じゃ !それも年上の! 訳の分からない展開になったところで、止めておこう。載せるま えに管理者に消去されてはかなわない。それでは皆さんごきげんよう!
追伸 山と花に興味のある方、「花バカじじい」まで連絡してね!
石澤岩央
平成12年4月から県立図書館に勤務しています。みなさん利用してね!