第9回 宮林寿枝(95年)
ばれり
三日前、私の携帯にコーラス部の後輩からメールが入った。
曰く「某雑誌の編集者でValeriという人を発見!」とのこと。
これを読んでいる一部の方には、お分かりいただけるだろう。私は高校時代、コーラス部の仲間から「ばれり」と呼ばれていた。3年生のコンサートのプログラムにも、私の写真の横には「ばれり先輩」と記されている。
なぜ、「ばれり」か。
別にフランスの詩人からとったとか高尚ないわれがあるわけではなくて、あっさりと種を明かせば、単にバレリーナの“ばれり”である。
幼少のころからモダンバレエを習っていた私は、高校に入学したての頃、調子に乗ってクラスメートの前でピルエット(片足でつま先立って回転するアレです)を披露した。
つくづく若気の至りだったと今にして思うが、とにかく、そんなわけで「ばれり」。
当時は本人も気に入っていたはずなのだが、でもなあ。これ、恥ずかしいよ。
「バレリー!」とか呼びかけられて、おまえは日本人だろーが、って自分ツッコミ入れたくなる。先の携帯メールを読んだときも、ちょっとばかしハラホレヒレ的な脱力感に襲われてしまった。いや、嫌いじゃないんだけどね。
思えば高校時代、音楽室では「?」と思うようなあだ名が、そこここで飛び交っていた。
ちゃか、より、べろちょん、ちょみ、ばけ、みやび、ふーにゃん、つばき…どれも呼ばれるようになったに経緯ついて、ちょっとした説明を要するものばかりだ(ちなみに“ふーにゃん”だけは今でも分りません。もし、これ読んでたら教えてください)。
そして、あだ名の拘束力というのはすごい。
高校を卒業し、社会人になった今でも、お互いに会えばそう呼ぶのだ。
「ばれり、最近どう?」「ばれり先輩お元気ですか?」
その人の頭の中には、私という人間は、あの頃の「ばれり」以外にないのだろう。
私などはボーリングの名手だった先輩に会ったとき、ストライクでピンがなぎ倒される
シーンばかりが脳裏に浮かび、名前が思い出せなかった(M先輩、申しわけありません)。
それくらい学生時代の印象は強いということだが、なんというか、困ったものだ。社会的には“いい大人”になった自分の隣に、いきなり高校生の自分がちょこなんと座っているような妙なむずがゆさがある。どんなに仕事を頑張っていても、めくるめくような(?)恋愛に酔っていても、そう呼ばれただけで不細工でズッコケだったあの頃の私に引き戻されてしまうのだ。
でも、だからこそコーラス部の仲間とは気負いなくつきあえるのかもしれない。何といっても一番恥ずかしい時を見られてるわけなんだから、カッコつけたってしょうがないよね。
ちなみに私は今、会社で「みやっち」とか「よっしー」と呼ばれている。
なんつーか、安易だなあ。
個性的な「ばれり」がちょっと愛しくなった今日でした。
宮林寿枝 (1995年卒)
現在、“郷土の代表紙”(笑)北日本新聞社の広告局に勤めています。
最近、フラメンコを習い始めました。歌って踊る「ばれり」は健在です。